先日、あるテレビ番組で、「老衰による終末期のあり方」について
ドキュメンタリーがあった。
ある施設の中で、経管栄養排除の取組についての取材とともに、
医師や看護師、介護職と介護者とのやりとりについて、
非常に率直に表現されていた。
最期の1週間では、水分や電解質の人工的補給も中止し、
看取っていくというもので、かなり踏み込んで取材されているなぁという印象だった。
今日は、ある利用者さんのものへ訪問。
その人も、終末期という形で退院され、在宅生活を選択されていた。
退院当初は一時的に立ち上がり、末梢からの点滴も外れ、
なんとか経口のみで過ごされている。
それでも、最近は覚醒悪く、日中も入眠していることが多くなり、
その分、食事摂取は減少傾向だ。
それでも覚醒しているときは、普通に会話もでき、笑顔もみられる。
介護者は、
「いろいろな本をみて、胃瘻も点滴も終末にはいらないって思っていたけど、
いま、この状況になって、 こうやって、会話ができるのをみていると、
その時がきたら、胃瘻も点滴も出来る限りのことをやってほしいって言ってしまうかもしれない。
自分の親、家族ってなると、なんか考えちゃいますね・・・。」
としみじみ、話されました。
私たちは、医療従事者として、胃瘻などの人工栄養についての是非を議論する。
でも、結局のところ、答えを出すのは、個々の状況により異なり、
決断するのは、本人や介護者だ。
そういえば、長い胃瘻生活となり、ある有料老人ホームで過ごされていた女性が
徐々にレベルが低下し、最期の2週間を自宅で過ごそうと、
80歳を過ぎたご主人がご自宅に連れて帰り、先日自宅で看取られた。
お世辞にも、十分ケアができるとはいえない環境の中に帰すということは
医療従事者としても勇気のいる決断だったのではないかと思うが、
医師をはじめ、しっかりとサポートして、見送ることができた。
ここ、しばらく、終末期のあり方について、考えることが多い。